プラハの市電で圧倒的な最大勢力であるのが、このタトラT3です。
後継車が登場している状況でもなお、673両も在籍(2011年末現在)しており、またプラハ以外の旧共産圏の街にも多数が在籍しています。プラハ向け以外も含めた総生産両数は実に130000両以上に達し、文句なく世界で最も大量に生産された路面電車車両と言うことができます。
1960年から製造され、1990年代までの長きにわたり造られていましたが、プラハ向けには1960年から1989年まで製造されました。
所謂「丸タトラ」と呼ばれる丸みの強い車体が特徴で、少し愛嬌のある好ましいスタイリングに感じられます。おでこには系統番号表示はありますが行先表示機はなく、行先はフロントガラス内にプレートを掲出して示していました。また系統番号表示は、プレートを車外に取り付けてあるものと、表示窓のあるものの2種類が見られました。
車体色は伝統的な赤・白の塗り分けですが、同系色の車両は他都市でも見られ、このカラーリングがプラハ市電伝統の色を採用したためのものなのか、それとも単にメーカー標準色のような位置づけのものなのかは不明です。
プラハにおけるタトラT3は、時代の変化に対応して多種多様な改造を受けており、多くのバリエーションが見られます。
最も大規模な改造を受けたのは、車体中央部に低床部を設けたタイプで、形式はタトラT3R.PLFと称されます。塗装は銀色地に赤色へ変更され、前面は日本で言う「金太郎塗り」に近いものになっています。1960年代の丸っこいスタイルの車両を部分低床車に仕立て上げた外観はかなり強烈な印象で、個人的には「ゲテモノ」と言っても良いとさえ思えるものでした。2両編成で運転される場合、2両目は部分低床化されていない車両が連結されるのが基本のようですが、塗装は同じく銀と赤に揃えられていました。
また部分低床車ほど大規模な改造を受けてはいないものの、大型の行先表示装置を前面窓上に設けた車両や、座席などを更新した車両、車内に次停留所案内表示装置を設けた車両など、多種多様な更新車が見られました。
都市交通博物館の構内では、写真のような形態の車両も見られました。
ゼブラ模様の塗装やパトランプから、事業用車として使われているようです。最前部の扉が2枚折戸となっているのも特徴です。
タトラT3は近年では徐々に除籍が進んでおり、一部はウクライナ、北朝鮮に譲渡されています。
なおタトラカーには、タトラT3を基本に外板の板厚を薄くして軽量化を図ったタトラT4という形式も存在し、旧東ドイツなどには大量に導入されましたが、プラハ市電では1両が存在するのみのようです。どういう経緯で1両だけ存在しているのかよくわからず、しかも他都市のT4は平滑な外板なのに、プラハではコルゲートを用いているのも謎です。訪問時は都市交通博物館で姿が見られました。